はじめに

2026年(第174回)の芥川賞は鳥山まこと『時の家』と畠山丑雄『叫び』のダブル受賞となり、どちらも初候補での受賞という快挙を達成しました。
芥川賞は年に2回発表される日本文学界最高峰の新人賞であり、受賞作が発表されるたびに「今回のおすすめはどれか」「どこから読めばいいのか」と気になる方も多いのではないでしょうか。2026年1月14日に発表された第174回では、文学ファンの間で大きな話題を呼ぶ2作品が選ばれました。本記事では、第174回芥川賞の受賞作と候補作の詳細を紹介するとともに、同時発表の直木賞、さらに歴代のおすすめ芥川賞作品まで幅広くお届けします。芥川賞に興味を持ち始めた方にも、毎回チェックしている文学愛好家の方にも楽しんでいただける内容です。
第174回芥川賞の受賞作を紹介


第174回芥川龍之介賞の選考委員会は2026年1月14日(水)に東京・築地の料亭「新喜楽」で開催され、5作品の候補の中から2作品が受賞作として選ばれました。芥川賞でダブル受賞が起こるのは珍しいことではありませんが、今回は2人とも初めての候補での受賞という点で注目を集めています。受賞の背景には、純文学の新しい潮流を感じさせる両作品の力強さがありました。
鳥山まこと『時の家』(講談社)
『時の家』は、無人となり解体を待つ一軒家を舞台にした作品です。かつてその家を建てた建築家に「描くこと」の楽しさを教えられた青年が、解体前の家に忍び込み、愛おしむようにデッサンを始めます。すると、家に刻まれた記憶が人の気配を伴って蘇り、三世代にわたる住人たちの存在と感情が立ち上がっていきます。家の床や柱、天井やタイルに塗り重ねられた時間の厚みを繊細に描き出し、「家」そのものが主人公のような構造が読者の心をとらえます。著者の鳥山まことさんは1992年生まれで、建築士としての経験を持つ新鋭作家です。2023年に「あるもの」で第29回三田文學新人賞を受賞してデビューし、本作が初の単行本となりました。建築用語を駆使した緻密な描写と、記憶をめぐる詩的な文体が高く評価されており、第47回野間文芸新人賞も同時に受賞しています。
畠山丑雄『叫び』(新潮社)
『叫び』は、大阪府茨木市の河川敷を舞台に、古代の銅鐸と現代の関西万博を結びつけるスケールの大きな物語です。主人公の早野ひかるは「先生」との出会いをきっかけに、土地の来歴と銅鐸の歴史を学び始めます。物語はかつてこの地域で盛んだった罌粟(けし)栽培と阿片製造の歴史、満州に渡った青年の記憶、そして紀元2600年記念万博の熱狂など、昭和と令和の時間軸を行き来しながら展開します。封印されていた土地の声が溢れ出すような筆致は、「戦後日本」を問う圧巻の現代小説として選考委員から高い評価を受けました。一見すると歴史小説のような硬さを感じるかもしれませんが、読み始めると引き込まれるスピード感があり、鐘の音色が現実と幻想の境界を曖昧にしていく描写が印象的です。
第174回芥川賞の候補作一覧

第174回芥川賞には全部で5作品がノミネートされました。受賞した2作品以外にも、文学的に注目すべき作品が並んでいます。以下の表に候補作の一覧をまとめました。
| 著者 | 作品名 | 掲載誌 | 結果 |
|---|---|---|---|
| 鳥山まこと | 時の家 | 群像8月号 | 受賞 |
| 畠山丑雄 | 叫び | 新潮12月号 | 受賞 |
| 久栖博季 | 貝殻航路 | 文學界12月号 | 候補 |
| 坂崎かおる | へび | 文學界10月号 | 候補 |
| 坂本湾 | BOXBOXBOXBOX | 文藝冬季号 | 候補 |
候補作はいずれも個性豊かなラインナップです。久栖博季さんの『貝殻航路』は詩的な筆致で注目を集めた一作であり、坂崎かおるさんの『へび』は生と死の境界に迫るテーマが印象的です。坂本湾さんの『BOXBOXBOXBOX』はタイトルからして挑戦的で、形式面でも新しい試みが見られる実験的な作品として話題になりました。受賞には至らなかったものの、いずれも今後の活躍が期待される作家たちです。芥川賞の候補作は受賞作に劣らない質の高さを持っていることが多く、文学的な冒険を楽しみたい方にはぜひ候補作まで手を伸ばしてみることをおすすめします。
同時発表の第174回直木賞も要チェック

芥川賞と同日に発表される直木賞も、毎回大きな注目を集めます。第174回直木賞は嶋津輝さんの『カフェーの帰り道』(東京創元社)が受賞しました。嶋津輝さんは56歳での受賞となり、円熟した筆力が評価されています。直木賞は芥川賞と異なり、大衆文学(エンターテインメント小説)を対象とした賞です。芥川賞が純文学の新人に贈られるのに対し、直木賞はジャンルを問わず優れた物語性を持つ作品に与えられます。『カフェーの帰り道』は東京創元社から刊行された作品で、同社からの直木賞受賞作としても注目されました。芥川賞作品と合わせて読むことで、現代日本文学の幅広い魅力を一度に味わうことができるでしょう。純文学寄りの読書が得意ではないという方は、まず直木賞受賞作から手に取ってみるのも一つの方法です。
芥川賞と直木賞の違い
芥川賞と直木賞はどちらも公益財団法人日本文学振興会が主催し、年2回(上半期・下半期)の選考が行われます。芥川賞は新進作家による純文学の短編・中編が対象であり、文学的な実験性や表現の独自性が重視されます。一方、直木賞は新進・中堅作家による大衆文学の短編・長編が対象で、ストーリーの完成度やエンターテインメント性が評価の軸となります。両賞ともに候補作の段階から書店でフェアが組まれるため、受賞発表をきっかけに新しい作家と出会う絶好の機会となっています。
第174回の選考を振り返って
今回の選考で特筆すべきは、芥川賞の受賞者2人がいずれも初候補だったことです。近年の芥川賞では複数回候補に挙がった末に受賞するケースも少なくない中、初候補での受賞は作品の完成度の高さを物語っています。選考委員会でも、鳥山まことさんの建築的な視点から「家と記憶」を描く手法と、畠山丑雄さんの歴史と現代を結ぶスケールの大きさが特に高く評価されたと報じられています。
受賞作の読みどころと楽しみ方

第174回の受賞作2作品には、それぞれ異なる魅力が詰まっています。『時の家』の最大の読みどころは、家という無機物に宿る記憶を通じて人間のつながりを描き出す手法にあります。青年が家の一部をスケッチするたびに、その場所を起点として過去の住人たちの記憶が立ち上がるという構造は、読み進めるごとに時間の層が重なっていく感覚を味わえます。建築に詳しくない読者でも、家に対する愛着や「住まい」が持つ感情的な意味について深く考えさせられる作品です。
一方の『叫び』は、日本の近現代史という大きなテーマに正面から挑んだ意欲作です。読みどころは、古代から現代まで連綿と続く土地の記憶が、一人の人間の体験を通じて浮かび上がってくる構成力にあります。銅鐸という古代の祭器と、2025年の関西万博という現代のイベントが同じ土地で結びつく発想は、歴史に対する新鮮な視座を提供してくれます。やや難解に感じる部分もあるかもしれませんが、一つひとつのエピソードが有機的につながっていく展開は、最後まで読み通したときに大きな達成感をもたらしてくれるでしょう。
読む順番に迷ったら
2作品のうちどちらから読むか迷った場合は、読書の好みで判断するのがおすすめです。建築や家族の物語に興味がある方は『時の家』から、歴史や社会問題に関心がある方は『叫び』から手に取ると入り込みやすいでしょう。どちらの作品も単行本として書店に並んでいるため、手に取りやすい状況です。
歴代のおすすめ芥川賞作品
芥川賞には長い歴史があり、数多くの名作が生まれてきました。ここでは、これから芥川賞作品を読み始めたい方に向けて、歴代のおすすめ作品をご紹介します。
まず押さえておきたいのが、村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』(第75回・1976年)です。退廃的な若者たちの生活を鮮烈な感性で描いた本作は、発表当時から大きな議論を呼び、芥川賞の歴史を語る上で欠かせない一冊となっています。次に、綿矢りささんの『蹴りたい背中』(第130回・2004年)は、当時19歳での最年少受賞として話題を集めました。高校生の微妙な人間関係を独自の感性で切り取った作品で、若い読者にも親しみやすい一冊です。
また、又吉直樹さんの『火花』(第153回・2015年)はお笑い芸人が書いた純文学として社会現象を巻き起こしました。芸人の苦悩と友情を描いた作品は、普段文学を手に取らない層にも広く読まれ、芥川賞の間口を大きく広げた功績があります。近年の作品では、市川沙央さんの『ハンチバック』(第169回・2023年)が重度障害者の視点から社会のあり方を問い直す衝撃作として大きな反響を呼びました。
初めて芥川賞を読む方へのガイド
芥川賞作品は純文学であるため、エンターテインメント小説と比べると読みにくさを感じることがあるかもしれません。そのような場合は、まず短めの作品から挑戦してみるのがおすすめです。芥川賞の対象は短編・中編が中心ですので、1冊を数時間で読み切ることができます。また、受賞作の選評を読んでから作品に臨むと、作品のどこに注目すべきかが明確になり、理解が深まります。選評は文藝春秋の誌面で公開されるほか、日本文学振興会の公式サイトでも確認することができます。初心者の方には『火花』や『蹴りたい背中』のように読みやすい作品から入り、慣れてきたら『コンビニ人間』(村田沙耶香・第155回)や『むらさきのスカートの女』(今村夏子・第161回)といった近年の話題作に進んでいくのがおすすめです。
まとめ
2026年の第174回芥川賞は、鳥山まこと『時の家』と畠山丑雄『叫び』という個性の異なる2作品がダブル受賞を果たしました。『時の家』は家に宿る記憶を繊細に紡ぎ出す作品であり、『叫び』は日本の近現代史に正面から向き合った力作です。同時発表の直木賞では嶋津輝『カフェーの帰り道』が選ばれており、3作品を合わせて読むことで現代日本文学の多様な魅力を堪能できるでしょう。候補作の久栖博季『貝殻航路』、坂崎かおる『へび』、坂本湾『BOXBOXBOXBOX』もそれぞれ注目に値する作品です。芥川賞は毎回新しい文学の才能を世に送り出す賞であり、受賞のタイミングで作品を読むことは、日本文学のリアルタイムな動きを体感する貴重な機会となります。気になった作品があれば、ぜひ書店で手に取ってみてください。


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